樋渡よりパスを受けました、3年の山中と申します。よろしくお願いします。
突然ですがみなさん、猛烈な苦手意識を抱えているものってありますか?-私にはあります、ダンスです。幼稚園のお遊戯会で披露したアンパンマン体操が私のダンス能力の限界でした。中高ではダンスの授業が必修でしたが、振り付けがどうしても覚えられず前の人の動きを真似て踊るためいつも1テンポずれてしまい、しかしターンの時だけは妙にキレキレになるようで、友人たちは私をみて涙を流しながら爆笑していました。懐かしいですね。こうして自分の不器用な部分を他者にさらけ出すことは、アイスブレイクとして働くようです。クラス替え後初めてのダンスの授業で強烈なインパクトを残すことで、まだぎこちなさの残るクラスメイトとの距離を一気に縮めることに図らずも成功してきました。長い前置きになってしまいましたが、今回のブログのテーマは自己紹介ということで、ダンスを踊る気持ちでありのままの私をみなさんにさらけ出せたらといいなと思います。お付き合い頂けたら幸いです。
なにか新しいことを始める際、みなさんはどういった基準を重視しますか?-手軽さ、将来的な有用性、楽しさ、周囲の人の雰囲気など、様々な基準があると思います。私は中高時代のダンスの授業を通して、不得手な分野は並大抵の努力では克服できないことを痛感していたので、大学のコミュニティ選びでは自分に適性がありそうなジャンルであるかどうかを最重視していました。そんな折、昼ごはんを食べながら何気なくテレビchを回すと、ゴルフの女子プロの試合を放送していて、そのゴルファーが既視感のあるがっしりとしたスタイルをしていることに気付きました。「年頃の女子としてはどうしても気になってしまう自分のガタイの良さはゴルフでこそ活きるに違いない!」と感じた私は、まるで神託に導かれるようにゴルフ部への入部を決意しました。
しかし実際のところ、「私はゴルフの申し子に違いない」という確信は、何事にも運命的な出会いを感じがちな大学1年生ならではの幻想だったのかもしれません。入部後、ゴルフはパワー系スポーツという先入観とは対照的に、とても繊細で知的なスポーツであるという現実を思い知らされました。インパクト時のフェイス面のわずかなズレが大事故をもたらし、メンタルのゆらぎがスコアを壊滅させます。また、ラウンド中は風向きや地面の傾斜、木や池などの障害物との距離といった情報を常にキャッチし、それに応じた戦略を都度立てていく必要があります。しかし、私は雑で不器用、かつ同時並行的に多くの情報を処理することが苦手で、バンカーを向いてショットし案の定バンカーに入るといった「お馬鹿なミス」を連発してはスコアを稼いでしまうのです。残念ながら「ゴルフの申し子」とは口が裂けても名乗れない現状です。
さて、ダンスに次いでゴルフのマネジメントが苦手だとお伝えしましたが、「私は〇〇が苦手です」という言い回しは、時に私のダンスのようにアイスブレイクの役割を果たします。例えば、無愛想でとっつきにくいと思っていた人がぼそっと「自己表現が苦手なんだよね」と漏らしたら、その人の内側に触れさせてもらえたようで嬉しく、にわかに親近感を抱ける気がします。他方で、この苦手宣言は捉えようによっては予防線であり、自己防衛の一種に他なりません。苦手宣言によって自分自身に対する、あるいは他者の自分に対する及第点を下げ、ミスした時に受ける理想と現実との落差によるダメージを軽減しようとしているわけです。例えば私はダンスが苦手だと明言することによって、みんなの前で醜態をさらす不器用な自分を甘んじて受け入れることができました。不器用さをさらけ出すことに無抵抗であるかのように振る舞うことによって、自分自身も誤魔化し、なんとかプライドを守ろうとしてきたのかもしれません。
ゴルフは趣味や社交ツールとしても機能することからもわかるように、いかなるスコアであっても、プレーヤーが自身のスコアを受け入れることができれば楽しめるスポーツだといえます。ゴルフを楽しむことを第一の目的とするならば、「あ、コースを読み間違えてまたバンカーに入っちゃったよ。やっぱり私ってドジだなぁ。」と鈍臭さに託けて笑って受け流すことが正解でしょう。今までの私はこのタイプでした。しかしゴルフが上手な部員は、逆説的なようですがラウンド中ゴルフを楽しんでいるようには見えません。私にとってはナイスショットでしかないショットをしても理想と現実のギャップにもがき苦しみ、徹底的にミスの原因を追究、そして再発防止に余念がないのです。そんな姿を目の当たりにして、及第点を下げて下手な自分を受け入れることは表面的にはゴルフを楽しむことにつながるが、内実成長を阻害していたのかもしれないと深く反省しました。エンジョイゴルファーから競技ゴルファーになるためには意識改革が必要なようです。揺るぎない理想を掲げて現実とのギャップを直視することは、間違いなく痛みを伴うでしょう。しかし私はその痛みの先にこそゴルフの真の愉しさがあると信じて、遅ればせながら意識改革を行うことをこの場を借りてお約束します。よって今後、バンカーに入れて尚ニヤニヤしていたら「反省しろ!」とつっこんでください、お願いします。
以上、「苦手意識」というテーマで自分自身のゴルフを見つめ直してみました。最初の宣言通り、超絶下手なダンスを踊る気持ちで飾らない自分をさらけ出せた気がしています。ここで唐突な暴露になりますが、私は「好きなタイプは?」と聞かれたら「不器用な部分を含めありのままの自分をさらけ出せ、さらけ出してくれる、相互の信頼関係を築ける居心地の良い人」と答えます。長いですね、求めすぎかもしれません。ただこれは恋愛関係にかかわらず、あらゆる人間関係において私が大切にしているものです。入部当初はコロナにより大人数での集まりが制限されていたこともあり、部の雰囲気・全体像が掴み切れず、部の人間関係に漠然とした不安感を抱いていました。しかし部にコミットして部員一人ひとりの個性的な価値観・性格を知っていくにつれて、ゴルフ部は私にとってありのままをさらけ出せる居心地の良い場所になっていきました。この話の流れからお分かりのように、私はゴルフ部、そして部員の皆さんが大好きです。どうか片想いでありませんように…。
ではゴルフというスポーツ自体はどうでしょうか。こちらは明らかに片想いです。ゴルフ君はかなり「ツン」が強めのようで、どんなに時間とお金をかけて熱烈なラブコールを送ってもかなりの確率で無視されます。無視されるどころか嫌がらせをされているとしか思えない時もあります。しかし、「こんな不毛な片想いは辛すぎる、諦めよう」と思ったタイミングでゴルフ君は気まぐれにこちらに微笑むのです。その笑顔がなんとも爽やかで、一瞬にしてゴルフ君への不信感は晴れ、やっぱり好きだと再認識させられてしまいます。本当に困りました。無垢な乙女心は猫系ゴルフ君に完全に弄ばれているようです。なぜ私は信頼関係が築けているとは言い難い、好きなタイプとは異なるはずのゴルフ君をどうしようもなく愛してしまっているのでしょうか。西野カナの『Darling』「♪いつか友達と語り合った理想の人とまるでかけ離れてるのに Ah なんで好きになっちゃったのかなぁ」が頭に流れます。同期のブログを読んでみると、「甘い自分との決別」や「大人への第一歩」など自分自身の精神的成長と絡めて、思い通りにいかないゴルフとの恋模様になんとか意味を見出しているものが散見されます。潔く、「理由なんてない、ただ好きなんだ」と書いているものもありました。みんな私と同じく、大学生としての限りある時間をなぜ気まぐれなゴルフに一途に捧げているのか、そもそも捧げるべきか悩みつつも、結局は片想いをやめられないのでしょう。正直なところ、私はこの悩みに対する明確な答えを出せていません。このまま当てのない片想いを一生続けていくことになる予感もしています。それでも現時点までゴルフを諦めずに愛し続けられたのは、ひとえに同じくゴルフ親衛隊のみなさんのおかげです。みなさんと片想いの辛さやときめきを共有する過程で、この不毛な親衛隊生活になんだかんだ充実感を感じている自分に気づくのです。いつかゴルフと両想いになれる日を夢見て…卒部までには難しいかもしれません。とんでもないやつに惚れてしまった者同士、これからも末長くよろしくお願いします。
それでは最後に、親衛隊仲間として大きな心の支えとなってくれている松本に3年ブログ最終区間のバトンを渡したいと思います。