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2024

素人の戯言

お世話になっております。個人的に会話力に一目置いているもののお人好しすぎるところに少々心配がある斎藤からバトンを受けました、3年の増田です。


前回のブログから約一年が経過し、ゴルフの実力はもちろん、様々な物事の考え方や捉え方にも変化を感じます。


拙文を世に晒すにあたり、過去の部員のブログを読み返してみました。
内容はゴルフに関する真面目な話が7割、少し俯瞰して大学生活や部活としてゴルフをする意義についての文章が3割といった印象です。


主将濱島のブログが投稿されてから今日まで自分が書きたいことを日常の中で考え、メモしていました。
ゴルフについては偉そうに語れる立場ではない(1年生には偉そうに教えているが)ので軽く序章として、素人の戯言として書き連ねたいと思います。


私のゴルフの現状は春頃から80台の頻度が増え始め最近ようやくベスト80になり70台まであと一つというところです。
自分が入部当初に描いていた理想より少々遅れたペースでここまで来てしまいました。この2年半を振り返って、この現実に至る過程は遠回り(質の低い練習をしていたという点で)だったと感じます。どうして遠回りをしてしまった、もしくは遠回りだったと感じてしまうのでしょうか。


かといって今入部当初に戻ってやり直しても努力量を変えずに質を上げられる自信はありません。
例えば当時7割スイングを沢山練習していたとしても、今感じる7割スイングの安定感は感じられないと思います。「今の当たり前」は「当時の当たり前」とは完全に違っていて、常にその当たり前が更新され続けて、できなかった時の感覚を忘れ、なんで出来なかったんんだろうと自己嫌悪になってしまいます。


ゴルフとは(断定的な言い方ですが戯言なのでご容赦下さい)思考と行動、理想と現実、難しくいえば形而上と形而下の擦り合わせです。
自分のある感覚・意識から生じる結果を評価し自分のデータベースに格納する。これを何度も繰り返し、そのデータベースが大規模であればあるほど、思考と行動の一致が図られて(無意識的に)自信を持って打てるということだと思います。


つまり、初心者の上達に必要なのはひたすら色んな球を色んな打ち方で大量に打ちまくることであって、そこに少しのセンス(結果に対する評価が上手い)やこれまでの運動経験(野球やテニスで棒を振る感覚を備えている)による貯金が加わると成長速度が早いプレーヤーになるというわけだと私は解釈しています。
いかに行動を本能レベルに落とし込めるかなのでそりゃジュニアからの選手が上手いに決まってるよなというお話です。


この事実に気づかず、理屈づいたスイング理論なるものが正解でそれを目指すことが近道であるように謳った(少なくとも私に勘違いさせた)情報過多のせいで近道という名の遠回りをしてしまったように思います。本能を磨くにはライが毎回同じ練習場だけでは限界があって、より実践的なラウンド経験を積み、「練習場でできる完璧なショットをラウンドで試す」のではなくてラウンド主体の練習であるべきだったのかなと思います。
アドリブ(ラウンド)が必要な競技なのに台本(練習場)を完璧にしようとして却って棒読みの演技(巨ミス)になっていたということです。
まだうまくボールにミートできず球の制御に苦しみ、自分の中のゴルフ理論が全く固まっていない当時の自分にとって小難しい複雑な理論やレッスンは本能に理性が介入しすぎてしまうという点で必要なかったかなと思います。重たいバットの素振りで論外なスイングをする人はいないので、バットの素振りと球を大量に打つことが100を切るレベルまでは十分で最良最短な気がします。強いて学ぶべきポイントといえど、球の位置やアドレスなどの基本的な部分に留まる思います。


多くの理論やレッスンは初心者の未熟な本能の発達に無理やり干渉し自然に身につけられたはずの感覚を押し殺してしまいます。これは泳ぐことができないのに早く泳ぐ方法を教えているようなもので、複雑な理論は自分の泳ぎ方(打ち方)をある程度確立した上で自分の感覚に合う情報のみを採用して取り入れられる情報リテラシーのある中級者以上にのみ提供されるべきだと思います。


本能レベルに落とし込めず奇形な能力になってしまったこの窮屈な違和感は、自分の英語能力とよく似ていると感じます。実践練習(スピーキング)のないまま使えない知識(単語と文法)だけが蓄えられて情報過多になってしまい、いざ英語を使おうとすると頭の中で蓄積されすぎた知識が邪魔をしてスムーズに言葉が出てこないのです。その中で無理に引っ張り出した言葉は、伝わっているし間違ってはいないんだろうけど、もっと単純で簡単な表現があるんだろうなと後でGoogle先生に泣きつくのです。
練習場(単語と文法)ではよく褒められるのにラウンド(スピーキング)では巨ミスをしてしまう私のゴルフと全く同じで笑ってしまいます。


でもこの現在のゴルフに取り組む環境を考えるとこうなってしまうのは仕方のないことだと思います。ゴルフ場は遠くて高くて頻繁にいけず練習場に通うのが精一杯。でもゴルフへの興味や欲求不満はそれだけでは満たされず家に帰って色んなゴルフ関連の動画を見漁ってしまう。
こんなの頭でっかちになるための環境でしかないでしょう。つまり何が言いたいかというと環境がどうしても変えられない上に、このような私の考察してしまう性分も加わって、頭でっかちになってしまう私のゴルフ部人生は変えられなかったと結論づけるしかないということです。


とはいえ遠回りながらもここまで到達できたのは喜ぶべきことで、残された一年弱後悔しないように全力で打ち込みたいと思っています。


以上が序章になりましたが2000字以上も書いてしまいました。全然本編ですね。遠回りした理由という名の言い訳をたらたらと書いてしまいました。異論がある方もいらっしゃると思いますが、頭でっかちな私から見た相対的なゴルフ論であること、素人の戯言であることを踏まえてご勘弁下さい。


他にも4テーマくらい(「部活でゴルフをする意味」や「主務としてこの組織をどう捉えるべきなのか」など)メモに殴り書きをしているのですが、あまりにも殴りすぎて、下書きの段階で自分の考えが整理されてしまいふと我に返って「これってブログに書くほどのことでもないな」と、何をあんなに生き込んでいたのだろうと自分を諭すようにすんと落ち着いてしまいました。

 

せっかく自分の考えていることを全世界に公開できる機会だというのに、これは面白く考察しがいのあるテーマだと思って1人で悶々と考えて自分なりの結論に至った時、なんだそんなことかと悟り切って、その結論は全世界に向けて意気揚々と語れるほど深みを持ったものかどうか心配(先程までの内容も含め)になり、自分の中で納得していればいいやと考えてしまいます。
そして自分の軽薄かもしれない考察の過程とその結論をこれ以上晒す気持ちにはなれず最初に持っていたブログへの情熱を失ってしまいました。


というわけでブログイップスになったところで私の戯言は終わりにしたいと思います。

 

最後に駆け込みで、「死ぬわけじゃないし」という心を強く軽く保てるライフハック(割と使える)を置いていきます。
日常の些細な場面から極限に追い込まれた状況まで広く使えます。

 

次は僕のボケを全部拾ってさらに面白くしてくれる松戸です。
彼はゴルファーでエンジニアで東大生と三足の草鞋を履いて頑張っており、その胸中は誰にも明かされていません(少なくとも私には)。どんなブログが投稿されるのか楽しみです。


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