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2026

勤勉に至る怠惰

 小原くんからバトンを頂きました、ゴルフ部一年の久綱広大です。部活で行った免許合宿で大幅に延泊してしまったことが至る所で盛られ拡散されていることは不本意に思いますが、この経験がこれからの安全意識に良い影響を与えるだろうと信じています。


 私も前2人と同様大学からゴルフを始めました。小中高と野球を続けていたので、ある程度はやれるだろうと思っていましたが、現実はそう甘くなく、技術も飛距離も同期の中で一番劣っているのではと感じるほど現状の自分に歯痒さを覚えています。早くゴルフ部の一員だと自信を持っていうことのできる自分になりたいと強く思いながら練習に勤しむ毎日です。


 ゴルフに限らず物事の上達における大前提かつ最重要事項は何かと尋ねられたとき、「継続的に練習すること」という答えはおそらく最も一般的なものでしょう。勤勉は古くから美徳としてその地位を確立してきたわけですが、この文章ではそれに関して私の考えを対極の概念である怠惰と共に書いていこうと思います。


 娯楽の量が格段に増加し、あらゆる娯楽がスマホの普及等により身近な存在となったことにより、大ドーパミン時代と化した現代、多くの人間が自分の怠惰に直面していることと思います。私も例に漏れず、一浪で東大に入学するまでの2年間の受験勉強で己の怠惰と向き合ってきました。その中で段々と思うようになってきたことがこの文章の題名となります。怠惰が勤勉に至るという主張はいささか理想論であると自分でも感じますが、読んで頂けると幸いです。


 ブログを書く上で少し調べたところ、「怠惰を求めて勤勉に行き着く」という言葉が見つかりました。麻雀漫画『哲也〜雀聖と呼ばれた男〜』にある一説をお笑いコンビのかまいたちさんが引用して話題となったそうです。


 参考にした記事によると、最終的に楽をしたいという思いから人一倍努力するようになるとのこと。私が思っていたのはまさにこのことです。今怠惰になると後々苦しくなるだろう、そう思うと勤勉の状態を維持しやすくなります。現在の怠惰による未来の苦労を回避したいという思いが上記の言葉、ひいては私の主張の根拠となります。


 これに加え、私にはもう一つ根拠になる考えがあります。それは「怠惰は凝縮すべきではなかろうか」ということです。


 夏休みの中盤における「明日の休み」と普通の週の金曜日における「明日の休み」の感じ方は大きく異なることと思います。人間は状況に順応していくため、前者は後者と比べ幸福度は低下します。この感覚は個人差が大きいものだと思いますが、多忙な日々の合間にある束の間の休息はその短さを惜しむほどの魅力があるように感じます。


 私が二年前からダラダラと耽ってきた考えを文にしてみると、自分は勤勉と怠惰の止揚(アウフヘーベン)を試みてきたんだなと思います。まるで倫理の教科書に載りそうな弁証法の例となっていますが、怠惰は七つの大罪に含められているようにどうしても人間が離れられない性だから、怠惰を許容して前に進もう、そう考えていた過去の自分に気付くことができました。


 実際のところはまだ怠惰にとどまることも多々あります。怠惰を求めて勤勉に行き着く、その極地に至ることができるように強靭な理性を生涯を通じて養えたらと思う所存です。


 冗長な文章にお付き合い頂きありがとうございました。続いては一年の間で中日ドラゴンズの助っ人外国人の名で呼ばれるようになった佐野寧音にバトン(バット?)を渡したいと思います。新体制での主砲としての活躍を祈るばかりです。


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