書くことが何も浮かばないまま1週間ほど経ちました。堀眞爾です。そろそろ何か書こうと思います。最近考えていることでも徒然に書くとします。
大学に入って、3年目になりました。気づいたら、学部の授業を受けています。このブログも授業中に書いています。いわゆる内職です。化学系の学科に進学することになりましたが、悩みがなかったわけではありません。中学の時は心理学に、高校の時は化学に、浪人していた時は哲学に興味がありました。どれも深く学んだ覚えはありませんが、いずれかを大学で学びたいと思っていました。心理学は昔から人間は何を基準に行動しているのか疑問でした。化学ではなく最初生物に興味がありました。特に昆虫の生態に興味がありましたが、残念ながら生物はDNAの構造のところで挫折してしまい、それ以降疎遠になってしまいました。所詮標本を作ったり、図鑑を見たりして満足していたのでしょう。化学は特に思い入れというものはないですが、生物に近いのは化学だと思ったふわっとした理由です。哲学は単に鬱です。Martin Heideggerの「死への先駆」という考え方が好きです。結局化学系を選択したのは文系科目が苦手だったので理系を選択しただけというつまらない理由です。進振りで他2つを選ぶこともできましたが、点数的に諦めました。
最近の自分のゴルフの話を少しします。スイングを少しずつ変えてはいるのですが、半年ほど前から成長が全く見えません。2月ほど前は左にぶん曲がり、1月ほど前から右に分曲がっていましたが、いまはまた左に分曲がっています。狙った所にいつ打てるんでしょうか。理由は単に練習量が足りないだけだと思うのでもっと練習します。
話が少し脱線しますが「死への先駆」とは現存在にとって、あらゆる可能性の外側に自己のもっとも固有の可能性である死の可能性を見出すことであり、これによって現存在はあらゆる可能性を自分の存在として再発見することになります。ここでいう現存在はドイツ語の「Desein」を指していますが人間のことを指していると考えてもらって大丈夫です。「死の先駆」とはつまり、死ぬのが必然である以上、死を自覚して、自分の在り方がいつ何時変わるかわからないことを自覚する、つまり本来的な在り方をすることです。さらに、「先駆的決意性」というものがあります。自分はあまり理解ができていませんが、自分のみによって選択をすることは不可能であるにもかかわらず、自分の選択として選択を行い、しかもそれがどのような結果になろうとも、その生は自分で引き受けなくてはいけないことと自覚するということだと解釈しています。
「チェンソーマン」で有名な藤本タツキ先生もインタビューで美大のころを振り返って「四年間でこいつらより上手くならなければ、俺はもうこいつらを殺す」という覚悟で絵を描いていたそうです。
自分の人生に責任を持ち、覚悟をもって練習したいと思います。
話が少し重くなってきたので軽い話でもします。死ぬまでにやりたいことと聞かれて自分は全都道府県をまわることをあげます。食べることが好きで、特にその地域の特産品とかが食べたいです。今年は青森に行ってリンゴを食べたいです。おそらく旬は夏休みに被っているはずなので夏休みに行こうかなと思います。りんごを食べれたらなんでも良いので日帰りでもいいです。
話が飛びまくっているのは現在5時(朝練まで後 2時間)と徹夜しかけているためです。アニメとゲームを同時にしていたらこの有様です。今期はガンダムとサマポケとざつ旅を見ます。週の真ん中の祝日が悪いことにします。
次はいつも頼れる伊藤です。程ヶ谷係の仕事も気付いたらしてくれていたり、他にも様々な仕事をしてくれていて非常に感謝致しております。彼がいなかったらうちの代は大変なことになっていたでしょう。