松本先輩よりパスを受けました新2年の山田虎汰と申します。よろしくお願いします。
人生を左右する大学生活をゴルフに尽忠する日々を通して将来が四方八方と塞がれていく感覚があります、馬鹿な大学生活です。僕は甚だ極端な性格をしていますのでのめり込むか放棄するか、そのあいだのちょうど良い塩梅を見つけることができません。小学校では学校の授業を放棄し友達と話してばかりいました。高校時代も学校の授業を放棄し部活のためのエネルギー補充と称して睡眠に励んでいました。東京大学に入学するにあたって、多方面に優れた人達との交流を通して自分の興味の幅の狭さ/視野の狭さを改善しようと決意するのです。
結果として早々にその試みは失敗に終わります。入学後、意気込みを実現するべく様々な団体に参加してみます。中高時代をサッカー部と受験勉強のみに費やしてきた後悔より芽生えた学問系の課外活動で輝く人達への強い憧憬を原動力に行動し、4ヶ月後に抱いていた感想は一言。「つまらん」。
周囲に責任転嫁させていただきます。というのは、どの人間からも本気を感じられませんでした。剰え本気を感じられない人達は何やら充実した面持ちで各々の活動に取り組んでいます。生まれつき身体能力が低く且つほとんど中学校からサッカーを始めたような自分でしたが、強豪校との対戦やプロの試合の観戦を通して「勝ちたい、上手くなりたい」の情熱が人一倍強くなりました。並の人間よりスタートラインが遥か後ろの自分が並の人間より相当前にいる集団に追いつくために心身に浸染させた本気に対し、他団体で出会った人達の「本気」は揺籠の中で膨張した自我のように感じられたのです。毎日、大きな存在と自分を見比べ惨めさを噛み締めながらも一歩一歩前進し続ける刺激を知らない集団で本気ごっこをする気にはなれません。他方ゴルフ部は刺激で満たされています。周りの部員の意識など関係なく、そこには僕の想像を超えるプレーで少年心を掻き立ててくる先輩方、同輩、後輩がいます。新歓で先輩の蘞いショットを見せつけられたあの日から、ゴルフに心酔していくことは無条件に定められたことのように思えます。
といってもこんな考えに納得する人などいません。社会で生きていくとは、得意を伸ばし他者に自分の存在意義を示していくことです。そこには刺激も本気も不必要です。視野を広く持ち、バランスよく生き、秀でた能力で貢献する。まさに僕が東京大学に入学するにあたって目指した像ではありませんか。気が付けばそのような像は視界より消え(像が自分から遠く手の届かない存在となってしまったのか、はたまた自分が像を超越したのか)、ゴルフのみに打ち込む生活を送っております。ゴルフも大学から始めたのでまた霧の中のスタートラインです。霧の中で彷徨うより明確なビジョンを持ち将来のためになる活動に励むのが正しい選択なのでしょう。
スポーツを通して、自分も含め人の弱さに触れるのが好きです。普段どれだけ重厚で煌びやかな鎧を着た人間でも、スポーツでは分岐点において踏み出せない一歩が顕著に表れます。その一歩を踏み出すのは鎧や武器の完成度ではなく中の人間の強さであり、その一歩を踏み出せるようになるかどうかは鎧や武器の新調ではなく中の人間の成長です。ゴルフの上達は僕にとって人生最難関のタスクです。練習すればするほど挫折が波のように押し寄せ、その度に乗り越えるか逃げるかの分岐点が訪れます。さらにゴルフの難しいところは簡単な逃げ道が用意されていることです。理想の球を、理想のスイングを追求しなくともスコアを作れてしまいます。しかしゴルフに関連するキャリアを歩むわけでもない自分がゴルフに打ち込む意味があるとすれば、それは「乗り越える」の一歩を踏み込み続けることです。「意識が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」という中村俊輔選手の言葉があります。乗り越える意識を胸に苦悶し続け、中の人間を鍛えていくことで4年後、6年後、10年後、20年後、40年後、この無謀な大学生活が何らかの形で報われていると信じたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。続いては、6年間学舎を共にした川上健にパスを回したいと思います。