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2024

白い美しい蝶

色んな意味で20歳とは思えない堀からバトンを受けました、2年の伊藤と申します。休部している同期を除くと私が最後ということで、「ブログの順番は人望の順番」という言葉のことを思うと非常に残念でなりません。ゆらゆらと近頃の思いを書き連ねたいと思います。


入部して1年、部員としての活動とラウンド費確保のためのアルバイトにかなり多くの時間を費やしました。その忙しさといえばかつて趣味だった様々な娯楽に手をつけなくなってしまったほどで、ゴルフの練習に力を入れられないということでバイトを辞めることを決意した時、私の手元に残っていたのはピアノとゴルフだけでした。


まずはピアノから語らせていただきましょう。私のピアノとの関わりは母親がピアノ教師であるというところから始まりました。こう話すとそれなりの実力を期待されてしまうものですが、反抗期に突入したことによって自分で成長を止めることになります。その時期の私の振る舞いは今思い出してもひどいもので、教えを請う立場であるにも関わらず、母親のレッスン中の指示一つ一つに対して盛大なため息を返していました。


その後2年間ほど全くピアノを触らない日々(=反抗期)が続き、そして突然終わりを迎えます。その終わりは、ある曲との運命的な出会いによるものでした。両親が夕食中に見ていたアニメ『ピアノの森』(原作:一色まこと)のオープニングに採用されていた、フレデリック・ショパン作曲『エチュード op.10-1』です。エチュード(練習曲)という名の通り、左手はオクターヴの和音、右手はアルペジオ(分散和音)のみという単純な構成の曲でありながら、後世に「waterfall」という別名がつけられたほどの雄大な曲想に魅せられた私は、2年ぶりにピアノの蓋を開けたのでした。


少々脱線しますが、現代の情報システムは大変素晴らしいもので、私のような人間でも所謂「巨匠」と言われるピアニストの名演に接することができます。そのことに気付いて以来の私の趣味は、気に入ったピアノ曲の名演No.1を探し求めることです。アマチュアにはあるまじき斜に構えた姿勢で、「ここのタッチが好きじゃない」「もっと流れるように弾いてほしい」といちゃもんをつけていくわけですが、『エチュード op.10-1』に関しては韓国のピアニストであるチョ・ソン・ジンのものが最高であると思っています。「waterfall」から連想される激しい水の流れというよりも、清らかで涼しげで、淀みのない雰囲気。特に彼が15歳の時の演奏は、芸術に対して用いるべき表現ではないようにも思われますが、「これ以上の演奏は後にも先にもないのではないか」と感じてしまいます。


上記の趣味によって、音楽的であるか否かを判断する耳が育まれたわけですが、近頃その耳によって1つの悩みが生じています。それは自分のとても上手とはいえない演奏を、誰よりも自分の耳が受け付けないという事実です。(舌が肥えているのに自分は料理下手、というのに似ているでしょうか)耳の良さという美徳を見ずして、自分の下手さという汚点ばかりを見るところは私のかねてよりの悪癖ではあるのですが、それにしても難儀で贅沢な課題だなぁとつくづく感じます。


ゴルフ部のブログとは思えない様相を呈してしまっているので、自分のゴルフの話を少しだけ。

最近のゴルフでの一番の悩みは、いわゆる「首切りスイング」になってしまっていることでしょうか。しばらくスイングの動画を撮影せずに練習をしていたら笑えてしまうくらいアウトサイドからクラブが入るようになってしまったので、客観的に自分のスイングを分析する機会は大事だなと実感させられた次第です。

元々ドライバーの飛距離はない方でしたが、上記のスイングによって拍車がかかっていて(しかも曲がりやすいので)、スコアを崩しやすくなっています。練習では、ループを意識して振ったり、インパクトに向けて右肘を畳んでいくイメージを取り入れたりしています。右肘を畳むというイメージで振るとダウンスイング中に自分の右脇腹に肘鉄をかましてしまうほどの不器用さには悲しくなりますが、最低でも肩よりは後ろのラインから振れるように練習を続けようと思います。


その上でスイングの改善と同じくらい今の私に足りていないのがラウンド数です。普段のラウンドは受験勉強で言うところの模試に近いと思います。本番の試験というゴールを見た時の自分の経過観察にとどまらず、模試という小さなゴールを見据えることで普段の勉強にも明確な目的ができ、身が入りやすくなるという役割を見出せるでしょう。埼玉の中でもかなり辺鄙なところに住んでいる私をラウンドに誘ってくださる素晴らしい先輩方、同期には感謝してもしきれません。その上で「同居している家族はゴルフをしないから」「アクセスの悪い田舎だから」と卑屈にならず主体的にラウンドに行こうとする意識を持つことが、私に何よりも足りていない姿勢だと感じます。せっかく秋以降はバイトに費やす時間を減らせるわけですから、「主体性」を何よりも大事にしてゴルフと向き合おうと思います。


近頃の思い(悩み?)を書き連ねて感じたのは、(他人の引用で恐縮ですが)如何に自分に「納得」が足りていないかということです。

ピアノに関しては、アマチュアが自分の演奏をプロのそれと比べたら絶望するに決まっているわけで、しかも私は健康な指を以て幾つかの弾きたい曲と向き合うことができています。恵まれた現状に対する「納得」が足りていないわけです。

ゴルフに関しても、飛距離の出ないスライスが出る確率が最も高いにも関わらず、稀に出るナイショを願ったマネジメントをしたがる自分がいます。ラウンド数が足りていないのなら尚更、自分の現状に合わせたマネジメントをするしかないわけですが、意固地になってプレーして自滅しています。全て自分の責任であるのはそうなのですが、それにしても自分のスイングから来る結果に対する「納得」が足りていないわけです。


そんな種々の絶望にしばらく悩まされた私にとっての救いの1つに部員の皆様の存在があります。既に卒部している先輩方のものも含めてブログを読み耽るほど、東大ゴルフ部は私にとって本当に心の底から大好きなコミュニティです。色々な場でお世話になっている先輩方には自分史上最大の感謝を、この場を借りて伝えさせていただきます。また、私の代は実力でも、部員としても、そして何より人として、際立った輝きを放つ人しかいません。そんな恵まれた代にいながら腐ってたまるかと思わせてくれるのは、本当に救いとしか言いようがないでしょう。2年の名折れとならないよう、後にも先にも唯一であろう所沢ナンバーと共に、誇りを持ってやっていくつもりです。2年後卒部する際には、実力も、その他の悩みに関しても、今の自分を笑えるほど成長していることを願ってやみません。


次のブログは、円熟したゆったりスイングが特徴の、我らが埼玉の誇る「指揮官」上阪さんに託したいと思います。


WRITER:伊藤伶
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