自分の何十倍もの練習をしている同期が、幼少期からクラブを握っている他校の選手には敵わないと知ったとき、この競技は結局、どれだけクラブを振ってきたかという極めて単純な競技なのだなと思いました。
対して自分は、「このミスショットがなければ」、「この時の運が悪くなければ」、「これとこれとこれが上手くいっていたら」と、あと少しで届きそうな目標への「たられば」を妄想するばかりで、ショットの調子は日替わり、目標には届かないことの繰り返しでした。結局は、練習不足。やったつもりでいるだけ。
自分のような拙劣なレベルだとゴルフの実力差は努力の差です。
そこに運動神経や才能の占める割合は僅かで、練習量を身体の感覚に落とし込み、経験を重ねて思考の引き出しを増やしていくということの積み重ねが大半だと思います。
これはゴルフに限りませんが、どれだけ深く考えてどれだけ正しい答えにたどり着けるか、そしてそれをできるようになるまでどれだけしつこく練習できるか、これに尽きます。ゴルフでは特に後者です。少し背伸びした答えが見えてきたら、感情や思考を排除してただただ同じ動きを繰り返す。ちょっとずつ、ちょっとずつ、日進月歩でスイングの再現性を高める作業あるのみです。
本当にもうやることがないというところまで鍛錬を重ねたのか?
この自問自答を繰り返すことができる人が強いのだと思います。シャウフェレも「雨垂れ石を穿つ」と言っていました。
自分はどうだったか。
4年生になり、やれることは全部やってやると意気込んでおきながら、そこそこの努力でこれくらいやればまあいいだろうと妥協していたのでしょう。
一切の妥協をしないことはとても難しいと思います。努力を当たり前のように続けられる人には、タフさや意思の強さがあると思いますが、そのような曖昧なものに頼るのは結構脆弱です。なので、せっかく部活でやっているからこそ、周りの人の目を積極的に使うのが良いと思っています。周りの人に自分の目標を高らかに言いふらしましょう。今日はこれくらい練習した、今日はサボってしまったと勝手に仲間に報告しましょう。一人で練習するよりも人と一緒に練習する機会をたくさん作りましょう。これでサボれない体になれると思います。
結局自分は、そのようなやり切る努力が不十分で、初めに目指していたレベルまでは届かずに引退を迎えてしまったわけですが、悔いがあるのかないのかは正直まだ分かりません。
ただ、調子が良い時期など3年半で刹那しかなかったのにも関わらず、ゴルフが嫌いになることはなかったです。
汗だくになりながらキャディバッグを担いで、曲げたティーショットを探しに山を登る夏のゴルフが好きでした。
朝の薄暗く寒い中、暫く体を動かすと一枚ずつ上着を脱いでいく冬の練習も好きでした。
こんな風に積もりに積もった思いを最後に書き残そうと意気込んでいましたが、引退から数週間が経ち、大学卒業までにやりたかった沢山のことをやれている中で、まだゴルフを続けたいという熱い気持ちも冷めていきました。まあこんなものだと思います。
最後に、3年半で関わって頂いたすべての方に改めて感謝をして、次期主将の濱島に期待のバトンを繋ぎます。