浦川より引き継ぎました、3年副将の山田虎汰と申します。
無限の素振り、無限のショット練、無限のラウンド、ただそれだけ。人生でゴルフに捧げた時間が長ければ長いほど、ゴルフを始めた年齢が早ければ早いほど、ゴルフが上手い。単純でつまらないこと、しかし気の狂うような反復動作を通じて人の肉体は成長するのだと思う。そして一見単調に思えるこの繰り返しは回数を重ねれば重ねるほどその奥深さが垣間見え、内省の機会を与えてくれる。同じ動作なのに違う感覚、その差異は睡眠の質、食事の質、疲労の度合いなどを反映し日々の生活の質を雄弁に語る。内省と反復の継続は動きと感覚を洗練させ、言葉によって説明できる領域を超えて行く。昨今、大衆にわかりやすいうよう作られた情報が出回り、それを吸収し頭でっかちになることが「考える」こととする風潮があるが、寧ろ言語化は研ぎ澄まされた各々の感覚を無理やり一般化しようとすることで軽薄なものへと堕落させると思う。目から鱗の情報による劇的な進化など存在しない。無限の素振り、無限のショット練、無限のラウンド、本当にただそれだけなのだが、多くの場合目先の一見革新的に見える(見せている)情報に逃げてしまう、そっちの方が楽だから。つまり大学からゴルフを始めて一目おかれる選手になろうなど、奇跡の様な才能が無い限り無理な話なのだ。LTSG(Life Time Spent for Golf)をこの4年間だけで覆し、且つ18歳という運動神経の成長がほぼほぼ止まっている状態から気合でゴルフの動きを体に叩き込む。努力だけでどうにかなるものではない。
時々他の選択肢に想いを馳せる、怪我を厭わず無理矢理サッカーを続けていたら、そもそも運動部に入っていなかったら、などなど。他に自分の才能をもっと発揮させられた環境があったかもしれないと弱音を吐きそうになる、そして巡り巡ってゴルフ部に入ってよかったと心底思う。多くの人は小さい頃に身につけた物の延長線上に生きている様に感じる。小さい頃から教育を受け得意だったものを使いながら社会の中で地位を築く方法を見つけ生活していく。スポーツの場合は競争が激しく諦める人の方が多いが、勉強はまさにそうだ。かくいう自分も記憶はないが、おそらく小さい頃から勉強させられそれが得意になり勉強を使ってここまで生きてきた。そんな唯一の取り柄とも言えた勉強をも捨てて大学から始めたゴルフと向き合う日々は、多くの学びを与えてくれる。大人になってから自力で新たな能力を身につける、大学入学時新しいことに挑戦しようと踏み切ったおかげで出来た、きっとこの先も活きてくる貴重な経験だ。
そして何よりも、中高時代サッカーを通して味わったあの一瞬の高揚が忘れられない。たった数秒の記憶、しかし18年の中で最も鮮明で濃密な記憶。その記憶は独立していた過去の自分を繋ぎ、苦痛も喜びも虚無も絡み合いながら必要不可欠な要素として訴えかけ、大きな物語として自分の中でかたどっていった。与えられた人生をなぞっているだけでは決して形成されないもの。自分の意志で、自分の行動で作り上げたもの。そしてスポーツにおいて色濃くでる不確定さが極め付けとなり、僕の中でより強いものを求める狂気が芽生えた。世の中には自分が味わったことのない一瞬を噛み締めている人がいる、それを追い求めずしてこの先人生60年自分に言い訳せずに生きていけるだろうか。いや、虚しさを埋めるためにありきたりな言葉を並べありきたりな涙を流す人間になってしまうだろう。運動部に入らないなどという選択肢はありえなかった。上手くいかないことがあると現実から目を背け、たらればを吐きたくなる。しかし振り返り、自分の初心やこれまで学んできたことを思い返せばゴルフ部に入ってからの時間は間違いなく掛け替えのない物であり、それ以外の選択をしていては得られなかったものだろう。
今、僕は人生で一番自分に集中できている。日々の積み重ねが肉体的にも精神的にも自分自身への理解度を高め、言葉では説明できない感覚が形成されている。無限の素振り、無限のショット練、無限のラウンド。人生最後の機会、悔いの無いよう全力で毎日を過ごしこのチームでBリーグ昇格を果たしたいものだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。東大ゴルフ部のブログは過去全てがです・ます調であるのにも関わらず、その風潮に背きだ・である調で書き上げられた初めてのブログとしてこの文章が皆さんの記憶に少しでも残ればいいなと思います。続いては中高大と9年間学舎をともにした絶起のスキャッター、川上健にパスを回します。