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2026

FAMILIA

並木より引き継ぎました、細谷です。頼り甲斐があると言ってくれるのは嬉しいのですが、流石に筋肉も脂肪も無さすぎるという事情も鑑みて細谷のままでいかせていただきます。中谷くらいにはなってから卒部したい。



約1年ぶりにブログを更新するにあたってどんな話題を展開しようかここ数週間頭の片隅で考えていました。ゴルフについてなのか、ゴルフ部についてなのか、大学についてなのか、はたまたもっと身近な自身の近況についてなのか。ゴルフについて書くには下手くそすぎるし、ゴルフ部について思っていることは大半を周りの人間に話してしまっているし、大学は単位を取るので精一杯だし…。正直言って私のような未熟な人間がSNS(?)を通じて全世界に(?)発信できることなどほとんどありません。かといってS元くんのようにユーモアがあるわけでもないのでおもしろいブログも書けません。そうこう考えているうちに当番が回ってきてしまいましたので渋々筆を取っている最中でございます。はっきりと伝えたいことが無い故に読んでいて悶々とするような駄文になるかと思いますが、しばしお付き合いいただけたら幸いです。




最近私がよく考えるのは、人生の最期についてです。どういう形で、どういったことを成し遂げた上で、どんな気持ちで最期を迎えるか、ということです。できれば”我が生涯に一片の悔い無し”という状態で最期を迎えたいので、どうすればそのような最期を迎えられるのかをよく考えます。私はくだらない話をわいわいするのがあまり得意ではないので、ラウンドの帰りの車などでこういうこともよく話してしまいます(最も、この話もかなりくだらない話ではありますが)。ゴルフ部を含め、何人かの友人や先輩後輩と話をした結果、

自分が「納得」する人生を歩めば良い ー①

という結論に今のところなっています。納得しているので悔いがないのは当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、この「納得」というものが人生にとって、人間にとってかなり大切なものなのではないか、と思っています。


みなさんは自身が起こした行動の結果やその過程について、どのように自身で評価していますか?これに関して、恥ずかしながら私は”世間(周りの人)からの評価=自身の評価”としていることが多いです。自己肯定感の低さに起因しているのかもしれません。例を挙げます。ゴルフで1Rすると必ずスコアが算出されます。そのスコアについて、一緒に回った人や部内の人等から、悪くないね、流石に下手だね、など評価を受けることになります。もうこの評価を得た時点で、私の中でのそのスコアに対する評価が確定されてしまうのです。個人的には悪くないなと思っていても「何してんの?」と言われれば、たしかに下手すぎるなと思ってしまうし、逆にもっといけたなと思っていても「細谷ならこんなもんでしょ」と言われればまあそうかと自分の考えに蓋をしてしまいます。良く言えば素直という言い方もできなくはないですが、最近流石にこの周りからの評価に一喜一憂しすぎだな、と反省をしております。周りから求められる結果をコンスタントに出し続けることができる優秀な人間ならば、このような評価基準でも問題はないと思いますし、むしろ結果を出せている自分に対して自信が湧くと思います。しかし、私はそうできた人間ではないので、常に結果を出し続けることはできません。求められる結果が出なかった時、このような評価基準しか持ち合わせていないと自己嫌悪に陥る一方になってしまいます。それにより自信を失い、次に与えられたチャンスでも本来のパフォーマンスを発揮できずまた結果が出ない、という負の連鎖の始まりです。そこで、やはりその結果について自分で「納得」のできる評価基準を常に持っていなければならない、と強く感じます。ある結果(あるいはその過程)に対して自分自身の評価基準を持っておき、自身の中でしっかり噛み砕いて次に進む、ということが人生の何事においても大事である気がします。このようなステップを踏むと、2種類ある自信(※1)のうち、根拠のない自信の方は持てるようになるので先に書いた負の連鎖に陥る可能性も少なくなりますし、何より自信があるので前向きに生きることができるようになります。周りからなんと言われようと、みたいな感じのやつです。


以上のような観点から、良き最期を迎えるためにはまず自身の評価基準をもってして自身の行動やその結果に対して「納得」することが必要不可欠になります。




また、どうして①のような結論に至ったかということに関しても少し述べておきます。

ニーチェの虚無主義をざっくりまとめると、

「もともと人生に意味なんてないんだから、その価値(意味)は自分で決めてよくない?」

という前向きなものだという風に私は捉えています。また、「ジョジョの奇妙な冒険 Part7 STEEL BALL RUNにてジャイロ・ツェペリは

「『納得』は全てに優先するぜッ!!」

という言葉を残しています。


以上のことを読めば私の言いたいことなど想像に難くないはずです。人生に本来的に意味などないのだから、自分が納得することをするのが一番人生にとって価値のあるものになるはず、と安直に考えているわけです。

しかし、ここで納得には2種類あるように感じます。無意識の納得と意識的な納得です。前者は本能や経験に基づき、後者は現実を捉える理性に基づきます。アドラー心理学に「変われないのではない。変わらないという決断を自分でしているだけだ。」という言葉があるように、人生における決断は、無意識であろうと意識的であろうと、自分で納得したからその決断をしているはずです。であれば意識的に、自分の思考の及ぶ範囲で「納得」することの方が重要であり、かつ幸福度は高いのではと思います。この意識的に「納得」できることの範囲を広げるためにも、先に述べたような自身の評価基準というものは大切かなと感じます。自分は既にこの結果には納得している、納得したからこういう判断をした、という状態になれることが理想であるわけです。




さて、ここまで良き人生の最期を迎えるための条件を考えてきました。どうでもいいけれど簡単ではない話なので、一番読むのが疲れるタイプの文章かと思います。読んでくれた人はありがとうございます。どういう人生なら私自身が納得できるのか、ということも当然考えているので最後にそれについて書きたいと思います。


正直言って私は人生で成し遂げたい野望みたいなものがはっきりとはありません。今からプロゴルファーになるのはちょっと厳しそうだし、起業して社長になって大金持ちになるみたいなことに対してもあまり魅力を感じません。自己実現の欲求みたいなものがあまりないのです。もちろんリーグ戦では活躍したいですし、大学ストレート卒業もしたいですが、それは人生の中では些細なことだと思うのでここでは自己実現の欲求としてカウントしません。なんでかなーと考えたんですが、ふと「あ、もう自分の中で人生の主役は自分じゃないんだ」と思いました。これはつまりどういうことかというと、結婚して子どもを人生の主役にしたい、ということです。ありがたいことに、私の両親はそれぞれの人生の主役を私に譲って育ててくれていたように感じるので、同じことを自分の子どもにもしたいのだろうと思います。これといって自己実現の欲求が無い今、一番納得できる人生の過ごし方はこれなのではないかと最近ずっと考えています。両親に早く孫の姿を見せてあげたいですし、祖父母にもひ孫に姿を見せてあげたいですね。理想では30手前あたりで結婚したいのですが中々相手が見つからないのではないかと密かに焦っております。未来の細谷青年に期待です。


こんなことを考えているせいか、最近ずっと福山雅治の「家族になろうよ」を聴いています。2年の渥美くんの十八番らしいです。センス良きです。この歌の中に「いつかお父さんみたいに大きな背中で」「いつかおじいちゃんみたいに無口な強さで」という歌詞があります。FUNKY MONKEY BABYSの「ヒーロー」もよく聴くのですが、その中にも「男は涙を堪えながら 大切な人を守るもんさ」という歌詞があります。理想とする将来像でもありますし、実際に私から見ても親父の背中は大きいし、両祖父も無口ではないですが強いです。彼らの涙もまだ見たことはありません。私は性格上弱みを中々隠せず、且つおしゃべりなので、親父になるまでには背中を大きくして口数も減らして強くなっておけるよう最大限努力してみるつもりです。




長くなりましたが、最近の私の思考を体系化した「納得」のできるブログになったのでこのあたりで筆を置かせていただきます。(いるかわかりませんが)最後までお付き合いしてくださった方、ありがとうございました。


次は峯です。彼女はマン分人であり相当賢いのだろうと思います。執行代を目前にして留学に行ってしまうのは寂しいですが、ブログを読むたびに彼女のことを思い出してその寂しさを紛らわしてくれるような、素晴らしいブログを書いてくれるのでしょう。




※1 2種類ある自信:根拠のある自信と根拠のない自信のこと。過去の結果等に基づく自信を根拠のある自信、そういった客観的な事実がないが何故か存在する自信を根拠のない自信、とする。


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